紅色のヒカリ






 これは報いなんだと思った。





 大飢饉の中、人々がどんどん飢え死にしていく中でオレはまだこうして生きて呼吸をしていた。
 だが、生きていても仕方がない生だった。親を糧にしてまで生きていくに値しないと思った。人々が死んでいくのを見てももう何も感じない。


 悲しいとか嬉しいとか、そんな感情はあの日置いてきてしまった。

 どうしてあんな事をしてしまったんだろう。あのまま一緒に死んでいればどれほど楽だった事か。これまでも何度か死のうと思ったがいつも死に切れずに虚しさだけが募っていくだけだった。

 あれから物は一切口にしていない。勿論食べられるものなんてありはしなかったが、きっと目の前に食べ物が置かれても食べなかっただろうと思う。

 口にずっと残っている生々しい感触が忘れられない。何を食べても吐いてしまう気がする。

 どうして、どうして母さんはここまでしてオレを生かそうとしたんだろう。一緒に死んでくれと言われた方が余程幸せだったはずだ。


 「・・もう駄目だよ・・母さん・・父さん・・」

 母と父の形見のブローチを握り締めて、枯れ果てたはずの涙が一つ頬を伝った。









 それから数日後、オレはもう起き上がる気力もなくなっていた。もう疲れたんだ、もういいだろ、母さん、あなたの傍に行っても。

 その時だった。あいつが現われたのは。

 「おい、少年!生きてるかぁ?」

 殺伐とした雰囲気に相応しくない軽い調子の声が微かに聞こえてきて違和感を覚える。
 だが、もう目を開ける力さえ残っていなかった。軽く瞼を動かしただけで相手を確認する事が出来ない。

 「おっ、生きてるみたいだな。死んでるかと焦ったぜ」

 けれど少しも焦っているわけではないそいつはペシペシと頬を叩く。

 「おい、こんな所で寝てるとマジで死ぬぞ〜」
 「・・うっ・・」

 何とか開いた目に映ったのは鮮やかな紅、血のような紅い光だった。
 ゾクリとした。母さんの血を思い出したのだ。

 「・・っ・・うっ・・」

 猛烈な吐き気がこみ上げてくるが、胃の中に吐き出せるものなんてもう何一つ残っていない。胃液さえも出てこない。
 突然苦しげに呻いたオレにそいつはいささか慌てたようだった。

 心配そうに伸ばされた手を懇親の力で払いのける。

 「・・ほっとけよ・・・っ・・!」

 部外者に、何も知らない奴らに同情されても嬉しくなんてない。

 「・・・お前、死ぬつもりなのか・・?」

 今までの軽い雰囲気が一掃されるほどの低く冷めた声でそいつは言った。
 その問いにオレは目を閉じる事で答えた。それはもう構わないでくれと言う無言の訴え。

 だが・・・

 「!?・・なっ・・!」

 突然ふわりと体が宙に浮かんだと思ったら何か暖かいものに包まれた。目を開くと柔らかそうな黒髪が風で揺れていた。

 「お前、本当は死にたくないんだろ?」
 「オレは・・・」
 「目を見りゃ分かる。生きたいって言うヒカリがお前の瞳にはあった」
 「――――!!」


 それだけは・・・認めたくなかったのに。

 そしてオレは完全に意識を失った。









 次に目を開けた時はもう海の上にいた。

 ベッドで眠るのなんて久しぶりだ。体が動かなかったので頭だけ横に動かすと見慣れない人物が自分を静かに見ていた。
 長い黒髪に同色の冷めた瞳。睨んでいるようにも見えるそれに少し体を震わせると、その男は無言で部屋から出て行った。

 しばらくすると明るい笑い声と共に見慣れた少年が入って来る。

 「よぉ!起きたか!お前、何か食わねぇと死ぬぞ」

 物騒な事を言いつつその手には温かそうなスープの入った皿がある。それをオレの前に差し出して一言、食えと言った。

 差し出されたスープを複雑な気持ちで眺める。あれだけ欲しかったものが今目の前にある。これさえあれば父も母も死なずにすんだのに、こんなに簡単に差し出されると怒りすら湧いてくる。

 だが、オレの体は正直で目はスープから逸らせず、ゴクリと喉が鳴り唾液が洪水のように出てくるのが分かった。

 スプーンを渡されると狂ったようにスープを胃に流し込んだ。

 「おい!急に食べたら・・・」
 「うぅ・・っ・・げほ、げほっ・・!?」

 苦しい。突然の食べ物にオレの体は準備が出来ていなかったようで、取り込まれたものを排除しようとした。
 必死に背中を擦ってくれているが、それでも苦しさを収まらず全て吐いてしまった。それでもそいつは怒りもしないで大丈夫か、と繰り返し手を動かし続けた。

 「・・ごめん・・」

 やっと楽になり最初に出て来たのは謝罪であった。それが何によるものかは自分でもよく分からなかった。

 気まずくなって俯くとクシャクシャと頭を撫でられた。

 「気にすんな。ちょっとずつ慣れていけばいい」
 「・・・・・・」

 気遣わしげな笑顔に自然と涙腺が緩む。こんな笑顔を向けられたのは随分と昔の事のようだった気がする。

 すると、そいつは相変わらずの笑顔で、
 「オレはルキア。お前は?」
 「・・・レン・・」

 言ってオレはこっそりルキア、と口中で反芻する。

 「レンか・・いい名前だ。さっそくだけどレン、お前一緒に来るか?」

 きょとんとしたオレにルキアは説明が足りなかったかと言い足した。

 「オレってばこう見えてこの海賊船のお頭なんだよね。で、お前はその船に乗ってるんだけどこのままオレ達と行くか?」

 選べと急に言われてもどうすればいいのか分からない。海賊とか頭とか船とか、パニックだ。

 だけど、オレはこんな事をしてもらう価値は無いんじゃないか。オレだけぬくぬくと生き延びてそれで何になるのか。

 「でも・・オレ・・」
 「・・・そうか」

 最後まで聞かずにルキアは俯いて顔を逸らした。怒っているのかと思ったが、上げられた顔には笑顔が乗っていた。だが、それは今までのと明らかに違うものでオレは見た瞬間心臓が掴まれたような衝撃を覚えた。

 「そんなに死にたいんならオレがここでさくっと殺してやるよ」
 「・・・え?」

 呆然とするオレの目の前でルキアは無言で腰に挿していた短剣を音も無く抜き放った。

 「心配すんな。痛みも感じさせないから」
 「―――!!?」

 ゆっくりと近付いてくるルキアに反射的に上がる悲鳴を飲み込んだ。こいつ、本気だ。

 だけどオレは突然突きつけられた死に、あれほど願っていたはずの死にどうしようもない恐怖に駆られた。

 「・・だ・・嫌・・だ・・・」

 逃げようとしても思うように体が動かない。ガチガチと震える唇からは声にならない声が漏れるのみだった。

 光る短剣。振り上げられたそれにオレは反射的に目を硬く瞑った。

 「嫌だ!オレ・・死にたくないよ・・・!!」


 叫んで来るであろう痛みに耐えようと体を硬くしたが、いつまで経ってもそれは訪れなかった。

 代わりに訪れたものは思いもかけないものだった。


 「あ・・・」

 優しく抱き締められて涙が零れた。

 「本当は死にたくないんだろう?だったら生きるべきだ。誰にだって等しく幸せになる権利があるんだから」

 止め処なく流れ出す涙と嗚咽で話す事は出来なかったけれど、ルキアは分かってくれたようでポンと軽く背中を叩いてくれた。


 オレに幸せになる権利があるなんてとても信じられないけれど、


 ――あなたは生きて


 そう言って笑ったあの人に出来る事は本当に生きる事だけだから。


 「・・きたい・・生きたいよ・・死にたくない・・・!」

 これからも罪の意識に苛まれるだろうけど、それでもオレは生きていこう。


 「オレを一緒に連れて行って」


 これが、オレの航海の始まり。    











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